餓死
散々食い物のことを書いておきながら、このようなニュースを取り上げるのは違和感あるかもしれませんが、一応食い物がらみだし、気になったことなので、今年最後の話題として書きます。
「人間食ってなくてももう10日生きてます」「オニギリ食べたい」
経済大国日本で福祉の恩恵を受けられず、「餓死」した北九州の男性(52歳)が日記に書き残した言葉です。私、日本で餓死する人は居ないと思っていました。改めて餓死という言葉の意味を考えると定義が難しいですね。広辞苑には素っ気なく、「うえて死ぬこと。かつえじに。うえじに。」と出ています。人が飢えるのには様々な理由が考えられます。日本には食い物が氾濫しているから飢えることがない、とは言えないということです。調べてみると、厚生労働省の統計では、毎年20名程度が餓死者に分類されていたのですが、95年、61名に急増し、以後、年に80名程度で推移しているようです。この日付を見ると政治の影響が大きいと言えそうです。
近年同じように孤独死も増加していますが(孤独死という言葉の定義も難しいですね)、餓死者の増加と関係ありそうです。因みに、この北九州の餓死者に対して、行政担当者は孤独死という見方をしていると報道されていました。
このニュースでもう一つ驚いたのは、このことがニューヨークタイムズに載ったという事実です。以下のタイトルのかなり長い記事で、福祉政策について多角的に取り上げられたものでした。'Model' というのは、生活保護費削減に成功したモデルという意味です。事が発覚して三ヵ月後の10月という日付にはなにやら他の意図があるのではという疑問が起こらないでもありません。
Death Reveals Harsh Side of a 'Model' in Japan (Published: October 12, 2007) 〔死が日本の「モデル」の無情な面を明らかにする〕
日記もちゃんと英訳されています。
"3 a.m. This human being hasn't eaten in 10 days but is still alive," he wrote. "I want to eat rice. I want to eat a rice ball."
今年も終わります。来年がこのようなニュースのない良い年でありますように。私は旨いものを食べ飲み続けます。





































対馬、「つしま」と読みます。しばしば「国境の島」という枕詞が付きます。玄界灘に浮かび、朝鮮半島まで50キロぐらい、九州へは130キロぐらいです。東西18キロ・南北82キロで、左の写真の下に描かれている形をしています。飛行機が長崎と博多から飛んでいますが、船は博多からがほとんどです。しかし、長崎県です。以前は、北のほうを上県郡(かみあがたぐん)、南のほうを下県郡(しもあがたぐん)といっていましたが、平成の大合併で、対馬市になりました。「市」です!驚きです。人口は漸減で、四万人をきっているようです。南東にある一番大きな町、厳原(いずはら)が私の父親の故郷です。そこにいる従兄弟が久し振りに「かす巻」を送ってきました。




























最近のコメント